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会津若松から電車に乗って、郡山駅に戻ったのは16時過ぎ。そのまま、ビックパレットふくしま行きのシャトルバス乗り場に並び、会場に着いたのは17時すぎに会場に到着。

前日は金曜日で地元の方が多いように見えましたが、翌日が日曜日なので県外からも多くの人が集まっていました。2日目はセットリストを変更。初日はお馴染みの3曲、YES NO → ラブストーリー... → YES YES YES をアンコール前に続けて歌いましたが、2日目は最も盛り上がる YES YES YES をアンコールで歌いました。初日に比べて小田さんの声の調子も良かったと思います。

まだ、コロナが終息されていない中、入場前の手の消毒、会場内のマスク着用、大声の声出し禁止など、注意事項があり、観客の人達もまだ慣れない様子でした。

終演後は、多くの人がグッズ売り場に見向きもせずに、シャトルバスの行列に並びます。20時半ごろなので、東京、仙台あたりからの人達は新幹線で十分帰れる時間で、日帰りで帰った人も多かったと思います。

お土産は、マグカップとTシャツとパンフレット。
パンフレットはこれまでに比べて分厚い。

その日は一泊し、翌朝10時に郡山駅で名物のクリームボックスと柏屋の薄皮饅頭を並んで買いました。

ついでに福豆屋の販売所を見ると、先日の店員さんが居たので挨拶ついでに、海苔のりべんと小原庄助べんとうを購入して名古屋に戻りました。

おまけ・・
お土産屋さんの前で並んでると、駅入り口にいかにもSPらしき人が数人が連絡を取り合っています。もしかしたら、小田さんが新幹線で帰るかも??と思いしばらく見てたら、反対の新幹線の出口から、警察官やSPが小走りに何人も来て、何事か???と見てたら、なんと岸田総理でした。(^^;

よく考えると、SPの数が多すぎました・・

2日目は、朝から会津若松観光。郡山駅から7時30分の高速バス🚌で1時間以上掛かります。猪苗代湖と磐梯山の間を走るのですが、電車でも一部山間部を走る単線の所もあるので、電車もバスも同じくらいの時間です。

まずは会津の象徴である会津鶴ヶ城(若松城)・・戊辰戦争の中でも、最も激戦であった会津戦争で炎上して解体され、昭和40年にようやく再建された立派なお城。強固であった城壁も再建されています。

天守閣から見た会津若松市内

その後は、会津市内をまわる周遊バスのハイカラさんで市内観光。600円で1日乗り放題。しかも、主要な観光場所で入場料の割引も受けられます。

鶴ヶ城からほど近い、会津松平氏の日本庭園『御薬園』

戊辰戦争の時は新政府軍の傷病所になっていた為に、戦火を免れたそうです。修学旅行で来ていた、茨城県の中学生のいくつかのグループが来ていましたが、中学生には退屈そう・・

次は会津の歴史パークの『会津武家屋敷』。戊辰戦争時の家老西郷頼母邸が中心。これが凄いお屋敷・・会津藩の家老ってすごい権力をもってたんだね。お昼はこちらの九曜亭で会津名物の『ソースカツ丼』を食べました。

そして、最後は白虎隊で有名な飯盛山に・・山頂に白虎隊のお墓や自刃の地があるのですが、急な階段で大変そう・・隣に有料の動く歩道があってのでこちらにしました。

これが、白虎隊の自刃の地の塔。左の少年の像が見ている先に、当時の若松城(鶴ヶ城)があります。

小さくて見にくいのですが、正面の右手にお城があります。実際には城は落ちてはいなかったようですが、煙に包まれる城を見て、落城したと思い自刃したそうです。結構距離があって、肉眼では米粒ほどで、見間違えるのは仕方がないかも?

自刃した白虎隊十九士のお墓。いまでもお線香が絶えることがないそうです。

下山する途中、1796年に建てられた『会津さざえ堂』という変わった木造建築の塔に入って観覧。

会津若松市は歴史の興味のある方には観るところがいたる所にあります。七日町通りや会津藩校など、行きたいところがあったのですが、小田和正のライブが前日より1時間開演が早く、タイムアップ。

ハイカラさんで会津若松駅に向かい、今度は電車で郡山駅に帰りました。